参拝日:令和5年(2023年)7月19日
googlemapを観ながら道を進みます。
石切り神社の矢印が有りました。
二の鳥居
横の方に大鳥居が見えましたのでそちらの方から入ります。
大きいけどコンクリート製は珍しい。
絵馬殿
三の鳥居
お百度参りで有名な石切さん、この日も数名の方がお百度参りをされていました。
本 殿
御神木
授与所
朱印料は300円でした。(2023年7月現在)
摂社末社
五社明神社
御祭神は、
恵比須大神、大国主大神、住吉大神、稲荷大神、八幡大神。
例祭は、5月2日。
五柱の神々を合わせてお祀り申し上げているところから「五社明神社」の社名をいただいております。商売繁盛はもとより、大漁成就、五穀豊穣、産業隆盛のお宮として、様々なご商売を営まれる方々から篤い信仰を集めてきました。
出典:石切劔箭神社ホームページ
恵比須大神、大国主大神、住吉大神、稲荷大神、八幡大神。
例祭は、5月2日。
五柱の神々を合わせてお祀り申し上げているところから「五社明神社」の社名をいただいております。商売繁盛はもとより、大漁成就、五穀豊穣、産業隆盛のお宮として、様々なご商売を営まれる方々から篤い信仰を集めてきました。
出典:石切劔箭神社ホームページ
神武社
御祭神は、
神倭磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)。
例祭は4月3日。
神武東征のみぎり、尊の哮ヶ峰(現生駒山)を越えての大和入りは先住民の抵抗も激しく、大変なご苦労を伴いました。そこで尊は、哮ヶ峰の麓、高庭白庭の丘(現石切)で、高天原の神々に戦勝を祈願され、かたわらの巨石を高々と蹴り上げて武運を占われたと伝えられております。この神武天皇の蹴上げ石として伝わる巨石を御霊代としてお祀り申し上げており、武運の神様として篤い信仰を集めています。
出典:石切劔箭神社ホームページ
神倭磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)。
例祭は4月3日。
神武東征のみぎり、尊の哮ヶ峰(現生駒山)を越えての大和入りは先住民の抵抗も激しく、大変なご苦労を伴いました。そこで尊は、哮ヶ峰の麓、高庭白庭の丘(現石切)で、高天原の神々に戦勝を祈願され、かたわらの巨石を高々と蹴り上げて武運を占われたと伝えられております。この神武天皇の蹴上げ石として伝わる巨石を御霊代としてお祀り申し上げており、武運の神様として篤い信仰を集めています。
出典:石切劔箭神社ホームページ
穂積神霊社
御本社北側にあった穂積堂は、明治初期に第104代宮司木積一路翁が郷学校(現石切小学校の前身)を開き、子弟教育に尽力されところでした。しかしながら、この穂積堂は昭和45年に焼失してしまい、後に穂積堂に祀られていた御神霊を穂積神霊社として再びお祀りしたのがこの社です。病魔災難除け、学問向上の神様として篤い信仰を集めております。
出典:石切劔箭神社ホームページ
出典:石切劔箭神社ホームページ
水神社
御祭神は、
罔象女神(みつはのめのかみ)
天水分神(あめのみくまりのかみ)
例祭は7月2日
水を司る二柱の神をお祀りしております。
豊かな稲穂を実らせた河内の農業にとって雨は大切なものであり、祈雨祈晴を願う祈りが絶えることはありませんでした。 天之水分神は、「みくまり」が「みこもり(御子守)」に通じることから安産、子育ての神としても信仰されるようになりました。 現在においても、人が健康に過ごす為に欠かすことのできない水や、水の恵みへの感謝と信仰は変わることなく、多くの崇敬を集めております。
石切劔箭神社は、大阪府東大阪市東石切町にある神道石切教の神社。
延喜式神名帳に記載されている河内郡の式内社・「石切劔箭命神社二座」。
旧社格は村社。 ウィキペディア
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〒579-8011