参拝日:令和5年(2023年)1月11日
今宮神社から大阪八阪神社に向かう途中に「木津の大国さん」の横幕と多くの提灯を発見。
大國主神社
「えべっさん」と同じ日に「だいこくさん」もお祭りなんですね。
こちらも結構人が出ています。
この神社は少し変わっていて、私は大国社の鳥居をくぐって真っ直ぐに歩いてきて「大黒様」にお詣りしたのに右手の神社にも列が有ります。
敷津松之宮
「氏神様」って書いてあります。
列の最後の方向の鳥居に回ると「敷津松之宮」になっています。
2つの神社が1か所に有ると言う事ですか?
鳥居に貼ってあるポスターを観ると1つの神社みたいです。
「えびす・だいこく両社詣って本まいり」
大阪らしいキャッチフレーズです。
手水舎
氏神様
こちらは整理の係員もいて、長い列でした。
こちらも朱印料は300円でした。(2023年1月現在)
私は知らなかったんですが、
ここで「種銭」を頂き財布に入れて置くと金運アップになるそうです。
今度行ったら頂きます。
木津勘助の像
木津勘助
本名を中村勘助といい、天正14年(1586年)相模(神奈川県)で生まれました。豊臣秀吉に仕え、堤防工事や新田開発に尽くしました。
徳川時代に木津川の開削により大阪の発展に寄与した功績とともに、寛永16年(1639年)に近畿一円が冷害にみまわれ大飢饉の様相を呈したとき、米(大阪城の備蓄米)放出を願い出ましたが聞き入れられず、私財を投げうって村人に分け与えました。それも限度がありついに「お蔵破り」を決行したことなどから今なお敬愛されています。
「お蔵破り」の罪で葦島(現在の大正区)に流され万治3年(1660年)75歳で亡くなりました。墓は唯専寺にあります。
出典:大阪市ホームページ
本名を中村勘助といい、天正14年(1586年)相模(神奈川県)で生まれました。豊臣秀吉に仕え、堤防工事や新田開発に尽くしました。
徳川時代に木津川の開削により大阪の発展に寄与した功績とともに、寛永16年(1639年)に近畿一円が冷害にみまわれ大飢饉の様相を呈したとき、米(大阪城の備蓄米)放出を願い出ましたが聞き入れられず、私財を投げうって村人に分け与えました。それも限度がありついに「お蔵破り」を決行したことなどから今なお敬愛されています。
「お蔵破り」の罪で葦島(現在の大正区)に流され万治3年(1660年)75歳で亡くなりました。墓は唯専寺にあります。
出典:大阪市ホームページ
大國主神社 敷津松之宮
アクセス
〒556-0015